〜歌謡曲に溢れた風景〜日々〜そして洋楽〜

レトロ歌謡曲&洋楽ファンの日々。

岡晴夫 3 〜憧れのハワイ航路〜パラオ恋しや〜若いときャ二度ある〜今日も雨だよ〜二度と呼ぶまい

岡晴夫さんの曲はきわめて沢山あり、その70〜80年前 当時からの非常な根強い人気ぶりが、そこからも伺い知れます。^^



また岡晴夫さんの歌は、知り合いの70歳前後以下の方では、もはや知らない方も多いので、かなりの時間を経たのを肌でもって感じました。(亡くなったのも1970年と 早かったせいでもありそうです。)



戦後間もない時期の歌ながら、、

海外ハワイへの夢が広がり、その明るく華やぐウクレレの音色のながれる軽やかなサウンドと歌唱がこの上なく有頂天で楽しい「憧れのハワイ航路」




1941年の、、

南国の海に潜る情景と、爽やかで爽快な異国情緒を前面に押し出した歌詞に、優しい音色のストリングが そっと緩やかで優しい「パラオ恋しや」



情緒的で淡い静けさのある、どこか暖かで穏やかなサウンドに、、そっと人生の愁いを帯びる「東京の横顔」(プロフィール)




物憂げなマイナー調に別れの辛さ苦しさの募る様が、軽快なリズムで描かれた「東京の青い鳥」




リズミカルで重厚なマイナー調に、これからの長い別れの寂しさと、そこはかとない孤独が綴られていく「啼くな小鳩よ」




1949年の戦後の混乱期の曲で、アップテンポで焦燥の漂う颯爽としたマイナー調に、、若者達の日々にある街での朗らかな暮らしと、、明日への希望の映し出される「東京の空青い空」




とてシャン、、という昭和初期のたいへんな美人を表す面白い言葉が出てきていて、、


剽軽なユーモラスさが音頭風であり、、歌詞の晴れ晴れとした底抜けに明るい能天気さと、曲調の軽やかさも心躍る様に楽しい、、

人生の応援歌とも言える「若いときャ二度ある」




上原げんと さん作曲で1948年の、、明るく溌剌とした朗らかさで、、明日への希望の情緒を表した「二度と呼ぶまい」




明るく軽快なユーモラスさで、別れに泣いた日を振り返りながらも、、どこか軽い剽軽さが際立っていて楽しい「今日も雨だよ」




重苦しいマイナー調に、、うらぶれてしまった人生が そっと語られていく哀愁が辛い「男のエレジー



などなど、、岡晴夫さんは、爽やかで朗らかな曲調を中心にしながらも、時には非常にマイナー調の曲も味わいを持って、見事な歌唱を披露されています。^^


赤木圭一郎 3 〜旅路〜ふたりの渚〜若さがいっぱい〜月に咆える男

赤木圭一郎さんは、雰囲気は現在の30歳前後にも見える程の、さまざまな人生を経てきた存在感と貫禄がありまして、


顔立ちは割とワイルドながら、粗野な雰囲気を纏わず、育ちの良さが滲んでいるのも魅力的です。


まだまだ、これから後に更に厚みを増して、幅広く活躍されていたであろう、、若干21歳で、事故のために夭折されているのが惜しまれます。



「黒い霧の町」のB面であり、、

当時のさうらしい、深く熱い愛と暗黒街でのそれも叶わない運命を歌う、、ややマイナー調の甘く淡い情感の漂う、ムード歌謡な「今日かぎりの恋」



映画 幌馬車は行く からのテーマで、、

淡く優しい、暖かな情熱の燃える愛を捧げた、西部劇風なバラードがムーディーで、どこか 無骨な不器用さがクールな「旅路」




馬への鞭をしならせる勇ましく激しい掛け声が印象的で、、

乾いた西部のサウンドがローハイドを思わせ、

そして風の様な馬車の疾走感に、虚無な哀愁の漂うマイナー調の「幌馬車は行く」




当時の日活の登竜門的なボクシング映画からのテーマで、、

石原裕次郎さんの様な歌唱での、ワイルドな軽快さがスピード感を持って、淡々と焦燥のサウンドに映えていく「打倒」 (ノック・ダウン)





映画 邪魔者は消せ  からの、、

優しく甘い緩やかなバラードが、赤木圭一郎さんの低い歌唱に、情感豊かに映し出された、、

淡く遥かなムーディーさが非常に綺麗な「ふたりの渚」



ジェームズ・ディーンの有名な映画 エデンの東 をイメージしたとされる、、笹森礼子さん、白木マリさん、宮城千賀子さん、小高雄二さん、杉山俊夫さん、高原駿雄さん らの出演された1961年の映画 錆びた鎖 の劇中歌の、、


溌剌とした若々しい情熱と、コミカルな軽やかさが弾む様に楽しげな、アメリカンなオールディーズを想わせる「若さがいっぱい」




隠された影の一面にある儚く孤独で泣きたい心情を、、どこか軽やかなサウンドに、そっと静かに明るく 低いムーディーさに歌う「月に咆える男」(ほえる)




ジャズとボサノバ風のシットリと穏やかなサウンドに、、秘められた内面の弱さ脆さを静かに吐露していて切なさの描き出された「俺と月が燃えるとき」




芦川いづみ さん、笹森礼子さん、葉山良二さん、宍戸錠さん、二谷英明さん、浅丘ルリ子さん、山本陽子さん ら、錚々たる顔ぶれと出演され、、

撮影中に亡くなられた為に遺作となった同名の映画からの主題歌で、、

恋する相手よりも、海を選び取る、ニヒルな虚無感、かつハードボイルドな哀切さが辛いマイナー調な浪漫の感じる「激流に生きる男」




同名の映画の主題歌で、、

寄る辺のない、あてなく彷徨う流れ者の哀感を映す、重厚なマイナー調が重苦しい「俺の血が騒ぐ」




中原早苗さんと共演された同名の映画からの、、

胸の内に秘めた恋の、炎と燃え上がる心と涙を隠しながらの、その終焉を、哀切なマイナー調がそっと醸し出す「海の情事に賭けろ」





共演された中原早苗さんにプライベートでは、かなり甘えていた、、という一面もあり、

映画での、そこはかとない影をまといながらも、爽やかで熱く強い、男性的なイメージとはかなり異なる、、


非常に等身大な茶目っ気たっぷりな姿も知られていて、そこも若い青年らしく、更なる魅力に繋がっています。^^笑

育てる植物の楽しさ〜今年の無花果

九月過ぎた頃になり、家で作っている無花果(いちじく)が四つほど採れました。(成長はまあまあで、一口サイズ程なのですが、味は甘く美味しかったです。^^)


そして謎の虫の蛹がイチジクの枝にくっついていて、震え上がっていたのは内緒です。^^汗



一昨年ほどは、ほぼ最大限に大きな無花果が八つ九つ以上は採れていたのですが、、

南向きから、北向きのベランダへと鉢を移して、陽当たりがやや悪いのと、、



小まめに頻繁に、肥料をあまり遣らなかった事、、

更には水の蒔き具合も、それなりには頑張ってはいたのですが、、(言い訳です、はい。笑)これも足りなかった為だと思われます。^^汗



そして林檎の種から、最近は林檎の木を育て始めていて、夏から秋にかけての成長っぷりが凄まじく、、40cmくらいの高さになりました。


しかし枝や幹が細いので、折れない様に、芯となる柱を括りつけたりして保護しています。



時間的にも、大きな林檎を目指してはいないので、育てる楽しみ第一に考えていて、プラスα、、一先ずは小さな林檎が やがて できたらば、それで十二分に嬉しいかも知れませんね。^^




そして近所に葡萄を沢山 実らせている民家があり、、立派なブドウの一つ一つに丁寧に傘?ビニールを被せていて、、

それを見ると葡萄も丁寧に育ててみたいな〜、、

と密やかな憧れを持ってしまいました。^^

赤木圭一郎 2 〜夕日と拳銃〜トニーとジョー〜野郎泣くねえ!!〜明日なき男〜

赤木圭一郎さんは、その何処と無く影を帯びた眼差しや振る舞いが劇中では知られますが、、

素と思しきインタビューなどを聞いてみると、、極めて育ちの良さげな等身大の青年だった事が偲ばれます。^^




映画 拳銃無頼帖 電光石火の男 からの、、

軽快なウクレレの様なストリングのユッタリとした優しさが、西部劇ウェスタン風に そっと漂う「夕日と拳銃」



同じく上記の映画からの主題歌であり、、

虚無感のマイナー調が、ドラマティックに響き渡り、離れる恋の苦しみ哀しみ、そして孤独をムーディーに映し出す「野郎なくねえ!!」




同名の映画のテーマで、、

孤独でハードボイルドな哀感のマイナー調が、寂しげな叙情で静かに流れていく「明日なき男」



赤木圭一郎さんと宍戸錠さんが一緒に歌われた、、同様に映画 明日なき男  からの、、


重厚さのあるマイナー調で、ムード歌謡なサウンドに、、ニヒルな淡い情感が漂い、、

ライバルながら二人の掛け合いが仲睦まじく、仄かな面白さもある(終盤の へっへっへっへっ、、と宍戸錠さんの笑い方がユニークでコミカルです。笑)

「トニーとジョー」




白木マリさん、芦田伸介さん、垂水悟郎さん、吉行和子さん、浜村淳さん らと共演された、、赤木圭一郎さんの遺作映画 紅の拳銃 からの、、重苦しい別れの哀切さを胸の奥深くに、どう仕様もなく引きずっていくハードボイルドな歌「追憶」(おもいで)



映画 不敵に笑う男 からの挿入歌、、

海で運命に引き離されていく、別れが迫るマドロスの恋の切なさを、ドッシリとした重厚なサウンドながら、そっと静かに冷静に別れを映し出す「海の掟」




などなど、赤木圭一郎さんは若々しい爽やかな声質ながら、描く世界の基本は、映画の成熟しきった大人のダークな救いのない世界であり続けています。



しかし、20歳前後とは思えない完成された円熟味を風貌だけに留まらず、、人格にも歌唱にも芝居にも見せていて、、


もはや、なんの違和感をも感じさせず、極めて自然に、歌や演技で、その中にあるドラマを繊細で鋭敏な感覚で格好良く表現されています。^^

赤木圭一郎 1 〜霧笛が俺を呼んでいる〜男の怒りをぶちまけろ〜不敵に笑う男〜黒い霧の町

赤木圭一郎さんは(ハリウッドスターのトニー カーティスに似ていたからとされ、、愛称 トニー)


日活アクションの黄金期に、石原裕次郎さん(タフガイ)、小林旭さん(マイトガイ)、和田浩治さん(やんちゃガイ または  ヒデ坊)、、


後に宍戸錠さん(エースのジョー)、二谷英明さん(ダンプガイ)らを加えて、、1960年に日活ダイヤモンドラインを形成された事で知られる日活の人気俳優であり、、

荒々しい雰囲気の顔立ちながら、不思議な落ち着く色気を放っています。^^


映画内での宍戸錠さんとの息の合ったコミカルな掛け合いは、よく知られる所の様です。^^





芦川いづみ さん、葉山良二さん、吉永小百合さんらと共演された同名のマドロス サスペンス映画のテーマで、、


重苦しいマイナー調なムード歌謡風ながら、甘く優しい愁いの雰囲気を帯びた歌唱の、、マドロス物とも言える曲「霧笛が俺を呼んでいる」




浅丘ルリ子さん、二谷英明さん、渡辺美佐子さん、内田良平さん、藤村有弘さん らと共演された同題名の映画の主題歌であり、、

重くスリリングなマイナー調に、男性性の勇猛さがドラマティックながらダークに滲む「男の怒りをぶちまけろ」



拳銃無頼帖シリーズ 第三弾で、、

宍戸錠さん、笹森礼子さん、青山恭二さん、千波丈太郎さん、二本柳寛さん、吉永小百合さん らと出演された映画「拳銃無頼帖・不敵に笑う男」 からの、、


マイナー調の虚無の憂いや悲しみの静かに漂い溢れていて、、意味深な渋い、ミステリアスな大人の味わいのある曲「不敵に笑う男」



映画 俺の血が騒ぐ のテーマで、、重々しくも海の男の勇ましさと若い力強さがドッシリと描き出された「風は海から吹いてくる」




拳銃無頼帖シリーズ第一弾で、、浅丘ルリ子さん、宍戸錠さん、沢本忠雄さんらと出演された映画 拳銃無頼帖・抜き射ちの竜 のテーマである、、

寄る辺なく儚い危うさ、、ニヒルな暗澹たる人の闇を映し出す 洒落たムーディーさのある静寂のイメージのピアノと器楽サウンドの、しっとりとした展開に、、

男性的な浪漫の  そこはかとなく宿る「黒い霧の町」




などなど、赤木圭一郎さんは、その飾らなくて若さ漲ったいるシンプルな歌い方ながら、、


その声量と不思議な迫力のある歌唱は、、むき出しで純粋な、天賦の存在感が色濃く反映されていて、、


驚くべき程に、聴き手をその独自の世界観に引き込み、圧倒していく力を帯びているかの様です。^^



岡晴夫 2 〜幸福はあの空から〜花売娘シリーズ〜流転のマドロス〜若いマドロスさん〜青春のパラダイス〜東京シャンソン

岡晴夫さんは、上原げんと さん作曲による歌、、ご当地ソング、各国ソングとも言える異国への憧れを掻き立てる様な花売娘ソング等を含めて、たくさん歌われているのが特徴で、、


その曇りのない名前の通り晴れやか、かつ朗らかなテノール歌唱は戦中、戦後の当時の人々の先の見えない鬱屈した心を明るく照らした事がよく分かります。^^



1954年の曲で、、シットリと優しく静かな情緒に、混乱期の哀感と悲愴さ  すらも何処と無く淡く漂う「幸福はあの空から」


淡く優しい情緒が、美しい長崎の風景と共に朗らかに流れていく「長崎の花売娘」


1951年の曲で、重苦しい戦時下風なマイナー調から、明るく高らかな曲調に自然と叙情的に移り、、
曲の終わりも朗らかな楽しい希望を描くような余韻を残す、なんとも不思議な展開の歌「東京・神戸・長崎」



淡く軽快な優しさと、美しい異国情緒がほのかに香る様に漂う「南京の花売娘」


広東の夜景のシットリとした趣きを余す事なく映し出した、明るく華やかなムードの「広東の花売娘」


ゴージャスで、ジャジーかつモダンな匂いがしていて、楽しく派手で豪華な雰囲気をまとう「アメリカの花売娘」


身の上の悲しさを暗示した、淡く遥かな哀感が珍しく上原げんと さん作曲のマイナー調に静かに儚く映しだされた「想い出の花売娘」



戦後間もないヒット曲で、、優しく淡い深みのある静かな優しさと明日への展望の漂うメジャー調でありながら、、
寄る辺のない哀愁を まとわせた哀しさが、、どこか薄っすらと流れていく「東京の花売娘」



底抜けに弾む様な軽やかなリズムにのる、ご当地を意識した楽器サウンドに、、幸せな心踊る嬉しさと別れの悲しみの醸し出された「霧のカラカス花売娘」


岡晴夫さんの歌われている花売娘シリーズのなかでは、、やはり「東京の花売娘」と後々の1963年に発表された「霧のカラカス花売娘」 は全く異質な、そっと哀感を帯びた作品であり、、

戦前の花売娘シリーズからの朗らかな楽しげな明るさと、エキゾチックな他国の雰囲気、また異国の文化圏への憧憬を継承した作品とは非常に一線を画しています。
(終戦の東京の現実を歌っていて、密やかな人々の先行きの見えない、不安で覚束ない気持ちに寄り添っていると言えそうです。)


呑気で気ままに各地に流れていくマドロスさんの生き様や姿を軽やかな朗らかさで、明るく楽しげに歌う「流転のマドロス


若々しく、港の酒場で楽しそうに、喜び華やぐ、、元気で溌剌としたマドロスさんの姿を生き生きと明朗に、、かつ暖かい眼差しを向けている様を、歌いあげた「若いマドロスさん」



1946年のマイナー調の焦燥のアップテンポなサウンドに、岡晴夫さんの歌唱のテナーな軽やかさが冴え、
さらに若々しい溌剌さを添える「青春のパラダイス」



焦燥感のサウンドのマイナー調に、戦後の風景がそのまま、、リズミカルな岡晴夫さんの歌唱で希望とともに描き出されていく「ニュー・トウキョー・ソング」



1947年の曲であり、、戦後混乱期、復興期の儚げで静かな愁いを内に秘めながらも、、

モダンな暖かで優しく包み込む様な明るさが、明日への望みや希望を託して高らかに歌われている「東京シャンソン



などなど岡晴夫さんのテノール歌唱は非常にリズム感のある歌に適性を発揮していて、、
巧妙に、それでいて爽快に吹き抜ける風の様に歌い上げていかれています。^^

映像で見て感じる〜明治時代・大正時代〜昭和初期

今は昭和初期および、それより更に遡る 明治から大正時代頃のカラー映像を、微妙な白黒の濃淡等から分析して作ってくださる方がいるので、、

非常にその時代の臨場感を感じる事ができて嬉しい限りです。^^



数年前までは、、戦時下や戦後間も無い混乱期〜高度経済成長期のカラー映像も日本版では殆ど存在すらしていなかった気がします。

(アメリカや欧米の方々による撮影では、カラーが存在している模様。^^

更には、非常に古い日本の写真や映像は海外の撮影を頼る事になるみたいですね。^^)



写真では、近所の公立の図書館で昔借りてきた写真集には日本最古の撮影レベルの江戸後期〜明治初期〜中期頃の、村を臨む写真が納められていて(この時期は日本に写真技術がそこまで浸透していなかった為、海外の方の撮影でした。)、、


それから人々の生活は驚く程に変わりましたが、その中でも山々や川は基本は、やはり今と全く同じ風景と形状をなしています。不思議な感慨を覚えます。

(自然は そう短期間で変化しそうもないので、当然といえば当然ですね。^^笑)



他にも海外の歴史、世界史も好きなのもあり、19世紀〜(アメリカでは、、ジョーン・クロフォードゼルダフィッツジェラルドなフラッパー&禁酒法時代から、チャールストン、、世界恐慌時代の)20世紀初頭、、

(ナタリー・ウッドジェームズ・ディーンな1950年代〜も好きです。)

の海外の映像なども、興味を惹かれて見てしまいますが、、

これらは海外の映画やドラマが見事に忠実に当時を再現してしまう為に、映像で そこまで変わらないので、、あちらの技術、、撮影、脚本、監督能力、演技技能の高さが浮き彫りにされています。^^




書物で当時の事を細かく深く掘り下げて、あらかじめ先に知り学ぶことは勿論のこと不可欠なのですが、、


カラー映像からリアルな実際、、人々の暮らしと表情を探れるのは、ある種のタイムトラベルと言えそうで現代ならではですね。^^

私と武家の宇喜多家〜浮田との関係 そして戦前歌謡〜流行歌に触れる契機

少しだけ私自身の出自の事を手短に、書きたいと思います。軽くお付き合いください。^^



私の祖父 民造(たみぞう) は明治40年(1907年)生まれで、35歳頃に徴兵され、(比較的、高い年齢での徴兵です。)、、

外地からシベリア抑留を経て終戦から数年後に日本に帰国しているのですが、、

とても優しく物腰柔らかで静かな方で、そんな方でも容赦なく運命に巻き込まれていってしまう時代の流れは恐ろしく感じたものです。^^汗

(なので祖父の生きていた時代の雰囲気や、流行歌、映画、文学などにも興味が湧いてしまいます。^^ )


今は幸いにも戦時下や、戦後、、更には昭和初期以前の明治から大正にかけての人々の暮らしの映像もカラー映像があるので、時代背景を掴めて嬉しいものです。^^




そして私の母方の祖母(1910年、明治43年生まれ)は、、

織田信長の臣下であり、後に豊臣家の養子となり豊臣側で闘う事になる武将であった (また岡山城主でもあった) 宇喜多秀家で知られる武家の 宇喜多家の出自で、分家の末裔なので、旧姓は浮田の表記です。


宇喜多家はかなり前、200年程前に没落して有力農家になっている筈なので、、



もはや分家だと随分前から資産も何もなく、既に見る影もないのですが、、

その母方の祖母の父は浮田廣太郎(ひろたろう)といって、(神社の家の出自である妻をもらっています。)その当時は戸籍?か何かが一般の人とは記述が異なっていたらしく?


その身分を認められて、呉で造船の監督をしていたと聞きます。



その為に祖母の兄達と弟もそれなりの立場を許され出征し、、馬に乗る騎兵としての写真が残されていました。


(しかし、廣太郎は幼い頃は可愛がっていた子ども達には、大人になってからは厳しく冷たく接していたと聞きます。


また因島出身の妻との関係も、気位が高かった為か何らかの理由で、

一方的に厭ったため、、非常に仲が悪かった様ですね。


後にその曾祖母は病気も重なり、自ら家で亡くなってしまう事になります。汗)




とはいえ、宇喜多家は人数が多そうなので、辿れる方だけでも数千人はいそうで、そこまで珍しくはないのです。^^笑



今回は戦前流行歌に惹かれる切っ掛け  となった祖父と、、


浮田家の出である母方の祖母と曽祖父について、軽くですが書き記して置きました。^^

岡晴夫 1 〜国境の春〜大陸第一歩〜港シャンソン〜上海の花売娘〜港雨降れば

岡晴夫さん(愛称はオカッパル オカッパレ)は戦前から非常に人気のあった流行歌歌手で、マドロス物の原点とされるヒット曲を多数歌われています。

その歌声は高めであり、楽しげで、やや有頂天とも言える様な、高らかな明朗快活さを余す事なく発揮されています。^^


岡晴夫さんのデビュー曲で、ソ連との国境の旅を焦燥の寂しげなマイナー調で、なだらかに歌われた、、間奏には、淡く暖かな明るさを持つ「国境の春」


緩やかで情緒的、かつ静かで穏やかな日本的な曲調に、、希望に溢れた 華やかな異国の情景を岡晴夫さんらしい、高らかな歌唱で叙述する「大陸第一歩」


異国への憧れを掻き立てる様な美しく流れる様な表現と、軽やかで明るい情感の優しく漂う「上海の花売娘」


上原げんと さん作曲の、、
淡く遥かな、あての無いマドロスの人生、そして恋、、港の別れを、モダンな歌詞に、趣きも明るく暖かに心情を映し出す「港シャンソン


別れの哀感も洒落た歌詞に、、メジャー調に軽やかな中に淡いムードのある、穏やかな優しさを そっと滲ませる「港ヨコハマ花売娘」



弾む様な軽快なリズムにのり溌剌とした高らかな歌唱に、、楽しい若さを映し出す「マドロスの唄」



モダンであり、シットリと静かな情緒のサウンド、、淡く優しい想い出の叙情を そっと余韻を残して描き出した名曲「港雨降れば」



杉勇さん、2枚目俳優 井染四郎さん らの出演された、、火野葦平さん原作の作品と 同名の映画 土と兵隊  からの、、

焦燥の哀感の漂う重苦しいマイナー調に、、戦時歌謡らしい、闘いへと前進するしかない物悲しさを切実に秘める「今日も勝ったぞ」



などなど、、底抜けに明るく楽しい、夢のある曲から、、
儚げで、また情感の深みを感じさせる曲も歌われていて、戦時下〜戦後の人々の心を捉え、支える存在だった事が窺い知れます。^^

豆千代 1 〜夕日は落ちて〜恋はひとすじ〜曠野を行く〜だつてね

豆千代さんは、戦前の流行歌歌手であり、、芸者でありながら 歌手活動もされ人気を博した お一人として  一時代を築かれた方で、、

当時の歌手はクラシックの声楽由来の歌手と人気は双璧をなしていました。^^



和の民謡調での日本的な静の情緒で、、芸者の揺れる恋を描き、中山千夏さんの様な正直な歌唱をされた「恋はひとすじ」




江口夜詩さん作曲で、、焦燥のマイナー調に、、モダンな歌詞で、淡く儚く恋に散る乙女の姿を描く悲恋の「喫茶店哀話」




焦燥と やや物悲しさのある軽やかな曲調に、情景の描写の歌詞に、情緒的な芸者歌唱を美しくのせた、、あてのない儚さの醸し出される「夕日は落ちて」




流行歌の歌唱とは かなり異なり、、

浪曲に通じる技巧の高さ巧みさ、、芸者としての本領を存分に発揮されていて素晴らしい歌唱の「玉菊灯籠」




間奏に哀感と爽やかさを交互に漂わせながらも、、

明るく優しいサウンドに、やや淡々と旅の情感を、文語調で豊かに叙述され映し出した、、松平晃さんと歌われている「曠野を行く」(こうやをゆく)



明るく軽快であり、、その純粋な芸者唄な曲調と 節回しの歌唱が、淡い趣の漂う「廻り灯篭」




尾崎紅葉さんの原作の未完成である小説 金色夜叉 の世界を描き、、

松平晃さんとの、、淡く遥かな哀感の漂う、悲恋の運命にある二人の心情の揺らぎをマイナー調に歌う「貫一お宮」




モダンな歌詞を民謡のダンチョネ風に韻を踏んで歌い、、

民謡歌唱も非常に得意な伊藤久男さんとのユーモラスな掛け合いが楽しい「だつてね」



などなど、、豆千代さんは流行歌では、癖のない正直な歌唱、、やや淡々とした歌唱が特徴ですが、、


民謡、小唄となると別人の様に優雅で、凛とした芸者然とした姿を、輝かせ始めてユニークです。^^

小林千代子 1 〜涙の渡り鳥〜利根の朝霧〜もしも男であったなら〜戀知りそめて

小林千代子さんは、東京音楽大学で学ばれ、クラシック声楽の出身の流行歌歌手で、、日本初の国際的オペラ歌手の三浦環さんの門下生でもありました。(他には、李香蘭こと山口淑子*1さんや由利あけみ さんなどが門下にいます。)


また小林千代子さんも、悲哀に満ちた曲から、戦時歌謡、、そしてコミカルでユーモラスなものまで、非常に幅広く歌唱されています。



坪内美子さん、竹内良一さん、澤蘭子さん、岡譲二(岡譲司)さんらの、1932年の同名の映画からの、、

明るくリズミカルな曲調に、モダンな爽やかさが走り、、高らかな歌唱の冴えた「涙の渡り鳥」



佐伯孝夫さん作詞、中山晋平さん作曲で、同名の1934年の岡譲二さん、川崎弘子さん、栗島すみ子さん、、

谷崎潤一郎さんとの交流で知られているドイツ系ハーフの江川宇礼雄(うれお)さん らの出演された映画からの、、


和の情緒で、淡く儚い恋の哀しみを静かにマイナー調で映し出す「利根の朝霧」



東海林太郎さんの「国境嵐」と作曲者(飯田景応さん)が同じで非常に類似したメロディの、、

哀感の焦燥感がマイナー調の曲に合わせ、繊細な情感で伝わってくる「旅の踊り子」



弾む様なモダンな軽やかさと明るさで、、女性の大胆な胸の内をコミカルに歌う楽しい曲の「もしも男であったなら」




小林千代子さんもネエ小唄らしきものを歌われていて、、


これは1936年の渡辺はま子さんの「忘れちゃいやョ」に始まり、、

、、渡辺はま子さんの更に次の発売曲の、モダンで明るく爽やかで健康的な艶美さが大きく増した、、

(桑野通子さん、佐野周二さんの出演された映画 淑女は何を忘れたか、、にも劇中で使われている)「とんがらかっちゃ駄目よ」、、

から当時流行していた、艶めいた語り掛け?吐息?の お色気風のため、後に内務省から発禁となる、ネエ小唄という大ヒット流行歌があります。

(とはいえ、今の方が聴くと、割と普通に聞こえるレベルです。^^笑)



(他には、ビートたけし さんの師匠の深見千三郎さんの姉である、浅草で人気芸者をしていた、芸者歌手(鶯歌手)の 美ち奴さんの しな垂れ掛かるような芸者的な節回しが特色の「あゝ それなのに」、、

ミス・コロンビアさんの「ふんなのないわ」などの、、ネエ小唄があります。)


小林千代子さんの非常に高いソプラノ高音での歌唱が光る、、ネエ小唄の一種の様な、艶やかな声の入る小唄風の「アラ恥しいわ」



叙情的なマイナー調に、淡く遥かな愁いの情感の流れていく「儚い影」



夏川静江さん、ヘレン隅田さん、藤山一郎さん、徳山璉さん、小唄勝太郎さん、浅草市丸さん らと共に小林千代子さんも出演された映画 百萬人の合唱 のテーマであり、、


(婚約者の小林千代子さんと別れて夏川静江さんを選んだためスキャンダルを巻き起こす事になる)飯田信夫さん作曲の、、


ミステリアスで退廃的な気怠さの漂う、複雑な進行の重苦しげなマイナー調が、、哀しくも深い情緒に溢れ、歌唱の抑揚での情感表現の豊かさが素晴らしい「戀知りそめて」




などなど、本格的なクラシックの素養に由来する、、

その卓越した歌唱、、ソプラノの中でも、凄まじく高い部類の音程に自然に至る歌唱は圧倒的な為、聞き応え十分となっています。^^



*1:よしこ

美空ひばり 5 〜河童ブギウギ〜港町十三番地〜港は別れてゆくところ〜マドロス物

美空ひばり さんは時とともに、、民謡〜演歌調の中にも、自由自在にクラシックの様に繊細で情感の豊かな抑揚を駆使される ソプラノ歌唱も身に付けていかれる様になります。


そして海への親和性が非常に強く、1950年代〜60年代にかけて特に沢山のマドロス物を歌われています。^^



1949年に美空ひばり さんが、川路龍子さん、奈良光枝さん、岸井明さん、森川信さん、池真理子さん らと出演された映画 「踊る竜宮城」 中の歌で、、


笠置シヅ子さんを強く意識し、溌剌とした楽しさの盛り上がりが弾けた、割と子供らしい雰囲気の元気で陽気なブギーで、、美空ひばり さんの最初のオリジナル曲とされる「河童ブギウギ」

(古川ロッパさん、、そして 「あきれたぼういず」 で知られたコメディアンで、美空ひばり さんの歌い方の原型とされる川田晴久*1さんやダイナ ブラザーズの方々らとともに出演された歌謡映画 ひばりのアンコール娘 という作品では、笠置シヅ子さんのカバー曲のブギーを、ジャングル ブギの替え歌を含めて複数、歌われています。)




上原げんと さん作曲でり、、和の情緒が緩やかにシットリと、、演歌色が濃いながらも軽快に優しく流れていく、初の紅白出場曲の「ひばりのマドロスさん」




船村徹さん作曲で、、

和の民謡的な明るい演歌調で、、そっと三味線を弾く洒落たマドロスさんの胸の内を歌う「三味線マドロス



男性目線の台詞が粋で、ゆったりとした淡く暖かな趣をそっと、永遠の別れに添えている「初恋マドロス



和の情緒に、高音の歌唱のまま、粋で明るく弾む様に歌い切る情感が豊かで元気に溌剌とした「浜っ子マドロス



軽やかなサウンドが明るいながら、、歌詞に どこか別れの哀しさを高らかに滲ませる「君はマドロス海つばめ」



穏やかな重いマイナー調に、親の衰えへの抑えきれない哀感と、親子の深い愛情の絆が、静かに描き出され、演歌調に表現されていく「波止場だよお父つぁん」



小林幸子さんの「ウソツキ鴎」(こちらも、シットリとした叙情性もたいへん見事なのですが、コミカルなユーモラスさが やや勝るかな?といった曲調と歌詞です。)の様に、、

女性目線のマドロスさんとの淡い遥かな過ぎ去った恋の想い出の歌詞に、、


抑揚の情緒表現が見事で巧みであり、、ソプラノな高音のファルセットを連続させ、、哀切さ、辛く苦しい悲恋を、、叙情的に ゆっくりと流れる、洒落た穏やかで優しいムードに匂わせる「港は別れてゆくところ」




1955年の上原げんと さん、西沢 爽さんコンビによる、、もう帰らぬ人への想いを、情感の漂う、静けさの曲調に漂わせた歌「あの日の船はもう来ない」



やや重苦しいマイナー調で、海の旅の哀愁を、民謡の節で、奥深い心情を丁寧に表された「鼻歌マドロス



船村徹さん作曲の、掛け声も粋な、軽快でモダンなサウンドに抑揚の効いている朗らかな歌唱が冴える「ひばりの船長さん」




星野哲郎さん、遠藤実さんコンビの、、

モダンな明るさに転調の寂しさが浮き彫りにされ、またメジャー調に戻る展開が船長さんの、秘めた心情に寄り添っている「ヨコハマ物語」



軽やかなサウンドに、マドロスさんの港町での束の間の安堵と、情緒的に胸に秘められた涙の別れを暖かな眼差しで歌う「港町十三番地



高倉健さんと共演された映画のテーマで、、楽しい暖かな曲調にマドロスさんへの恋い焦がれ、、また海への憧れが高らかに表情豊かに描かれた「青い海原」



万城目正さん作曲の、、港町の淡く遥かな過去の恋をそっと振り返り、、寂しさを そっとロマンティックなサウンドに包む「港町さようなら」



女性側が迎えに来て 運命の再会を果たした歌詞が、気っ風が良くて豪快ながら、、その しっとりと落ち着いたサウンドにも、ユーモラスな楽しさのある「ご機嫌ようマドロスさん」



島倉千代子さんの様に細やかな繊細さで、異国情緒と憧憬を暖かで柔らかに映す、、「花のオランダ船」




束の間の久々の嬉しい再会に、弾む様に心を踊らせている、、たいへん陽気なリズミカルさがユーモラスな「お久しぶりネ マドロスさん」




どうしようもない、果てない侘しさの悲しみが溢れているマイナー調が、心に未だに残る辛さを滲ませた「さよなら波止場」



などなど、横浜 磯子の海辺の出身の美空ひばり さんは、多数の、、船乗りであるマドロスさんをモチーフにした歌を歌われていますね。^^


そこには余す事のない情緒が ふんだんに織り込まれていて、時には悲痛で物悲しく、時には華やかに明るく 喜びに満ち溢れた余韻を、、

実に様々に、それぞれの曲に応じて多彩に残されています。^^




私も友人の一人と 兄が磯子に住んでいるので、磯子には何度も行って案内して もらったり泊まったりもしていまして、、


小高い丘の上にある場所のマンションなのもあり、上から港や防波堤を見下ろす形の、、磯子の風景には僅かばかりの馴染みがあります。

磯子からは横須賀の海の辺りまで見渡せて、海や船など異国への憧れを駆り立てる、、とても綺麗な場所でした。^^


*1:当時は川田義雄

徳山璉 2 〜さくら・さくら〜山は叫ぶ〜丹下左膳

徳山璉(たまき)さんは、本来はクラシックの基礎を身につけた歌手ながら、、

当時の時代劇映画の和を基調としたサウンドのテーマソングから、ユーモラスで弾け戯けた曲に、郷愁を匂わせる歌、クラシック、オペラ、戯曲など、、様々な歌曲に対応された歌唱力と味と深みのある伸びやかな声質を持ち、、

そのあまりの自然な変わり身で、聴き手を飽きさせる事がありません。^^




1940年の、、和で民謡調の雰囲気が非常に軽快で軽やかにリズミカルで底抜けにお座敷小唄の様に楽しいながら、、歌詞には戦時下の戦地、死線を滲ませる「天から煙草が」



ルンペン節の様にルンペンにも優しい、、笑  という言葉も出てくる、、

軽快で弾む様な剽軽さで語りかける様な調子がユーモラスであり、、桜への愛おしい愛着がコミカルで笑ってしまう様な楽しい唄の「さくら・さくら」



明るく楽しい合唱が、耳馴染みがよく、優しく耳に刻まれていく、人々に火事予防の大切さを高らかに広める「火の用心」



シットリした情緒豊かな風景、情景描写がたいへんに美しく、、また趣の静かな優しさが、淡くて深い余韻のある「山は叫ぶ」




明るく浮かれて有頂天な歌唱と、徳山璉さんのコミカルな笑い声が挟まれ楽しい、行進曲の様な溌剌とした「僕は朗らか」




鎌倉時代の末期から活躍された武士で、、

その後の戦乱の南北朝時代には南朝の忠臣として仕え、、後々の江戸時代には国民的英雄として非常に愛された武将を題材とした、、1914年の文部省唱歌であり、、大正時代初期だけあり、歴史的な表現が難解ながら、、

その緩やかに淡い哀感の情感が胸に迫る歌唱が往時を偲ばせる「兒島高徳」(こじまたかのり)



長谷川海太郎さん原作で、、大河内伝次郎さん、澤村國太郎さん、山田五十鈴さん、同名の大ヒットした1933年の日活ウェスタンのトーキー第1作とされる時代劇 映画のテーマであり、、

和の情緒の流れる勇ましい曲調に淡い哀愁がそこはかとなく漂う「丹下左膳



徳山璉さんのクラシックのオペラの本領が、その高らかで甘い歌唱と声質で真面目に そのまま、威風堂々と、そして悠然と発揮されている「カルメン



フランスの作曲家のジャック・オッフェンバックさんによる、、ジェロルスタン女大公殿下、、 の喜歌劇中の登場人物の暴君な将軍からの、、

大將閣下の名はブム・ブムのテーマである、、愉快でユーモラスな曲を豊かに豪快に歌い上げた「ブム大将」




重苦しい哀愁を淡く優しいギターサウンドに寂しげに帯びている「故郷の港」



などなど、その音域の幅と、表現の幅には眼を見張るものがあり、、歌への造詣が深い上に、感も鋭く、感受性も豊か、、と天賦の多彩な才能を感じずにはいられません。^^


チェッカーズ 3 〜神様ヘルプ!〜OH!POPSTAR〜Song for U.S.A.

チェッカーズはアイドルを名乗り続けているだけあって、、


ピンポイントに、若さで溌剌とした、または揺れる若者の胸に刺さる様な、耳馴染みが良く、、

それでいて自然で等身大さの強い、極めてポップな歌を若々しく高らかに歌われています。^^


ロック バンドでありながら、そのアイドル性は、、ある意味で作られたもので、常に商業ベースを意識しているとも言えますし、、人の心にもその分、、幅広く、直に遮るものなく届きやすいとも言えます。^^



離れていく相手の行動を食い止めたい、マイナー調の焦燥の疾走感がテンポよくリズミカルに流れる「神様ヘルプ!」




そっと見守り包み込む歌詞が非常に暖かで、優しさの溢れたロマンティックなバラードの「ひとりじゃいられない」



歌詞にポップスターとなったことにより、はぐれてしまった淡い儚さを映し出し、、明るいサウンドながら、爽やかで優しい哀感の情感も滲ませている「OH!!POPSTAR」




心が強力に囚われてしまい、悔しがる歌詞がコミカルで、、

激しく楽しいロックな軽快さと、挟まれるシャウトが、非常に熱く弾んでいて、ユーモラスな「おまえが嫌いだ」




浅野温子さん、秋野太作さん、蜷川幸雄さん、、往年の昭和期の大女優の山田五十鈴さんの旦那様であった下元勉さんらと出演された同名の映画のテーマの大ヒット曲であり、、

淡い夢の儚さを匂わせたサウンドの、暖かで静かな哀感の中に、爽やかな明るさが弾けて流れていく優しいバラードの「Song for U.S.A.」




オールディーズなムードが賑やかで、はしゃぐ様に明るく楽しさの溢れたポップさが弾ける「WA WA WA」




ファンキーでアメリカンなクールさが、アップテンポに洒落ているロック サウンドの「NANA




優しく暖かなロック バラード感が淡く優しく響く「Mr.BOYを探して」




などなど、、その青さ、若さの滲み出る藤井フミヤさんの声質と歌唱は、当時の若者の想いをリアルに気負わずに表現しているかの様であり、、


その上に非常にポップでキャッチーな軽やかさを存分に、、縦横無尽に発揮されています。^^

佐藤千夜子 1 〜東京行進曲〜当世銀座節〜青い芒

佐藤千夜子(ちやこ)さんは現 東京藝術大学で学ばれたクラシックの声楽由来の流行歌歌手であり、日本初のレコード歌手と言われています。^^



中山晋平さん作曲で、大正時代に流行した歌であり、、松井須磨子さんの歌唱でも知られ、、

淡く遥かな優しさが心地良く、、クラシックなオペラ歌唱が長閑に響き渡る「ゴンドラの唄」



高級品であった蓄音機の普及に貢献したとされる1929年の中山晋平さん、西條八十さんコンビによる大ヒット曲で、、

同名の菊池寛さんの小説が原作  夏川静江さんが出演された映画のテーマでもあった、、

当時の東京の近代的な洒落た風景を、ややマイナー調サウンドに叙情的に情感豊かに歌われた「東京行進曲」



1928年に上記の二人のコンビにより発表された、、

明るく楽しげなメジャー調に、華やぐモダンで横文字の溢れた当世風の銀座を等身大に映し出した「当世銀座節」




淡々とした趣が、そのままシットリと静かに流れていく、、当時の風俗の偲ばれる「紅屋の娘」



スコットランド人のお父上とのハーフ(ミックス)の、テノールのオペラ歌手 藤原義江さんも2ヶ月後に歌われ、、それぞれにヒットしていた曲であり、、


漁村のどこか侘しい情景を、民謡的な掛け声を歌詞に歌いつつ、静けさのマイナー調の儚げな

波浮の歌」



1925年のラジオ放送開始と共に歌われはじめた佐藤千夜子さんの1925年のデビュー曲で中山晋平さん作曲、野口雨情さん作詞による、、


静寂の中に、神秘的で幻想性のある器楽のサウンドが優しく、、また淡く遥かに民謡調で、夜の自然、星、蛍の情緒の不可思議な美しさが表現されている「青い芒」(すすき)




などなど、そのオペラでの基礎 由来の歌唱のソプラノの伸びの美しさは素晴らしく、、

当時は流行歌がクラシックの歌よりも かなり格の下がる低俗なものと認識されていた時代にあって、、


東京藝術大学で学ばれた、かなりのエリートと言える佐藤千夜子さんの勇気は賞賛に値するものです。^^