藤圭子 と言えば怨歌なのだが
誰もが藤圭子と聞くと、(宇多田ヒカル氏の母としてのイメージが今は強いかもしれない。私自身、思春期は宇多田ヒカル氏のヒットの時代の影響からテレビで流れる藤圭子の姿は陰鬱で白黒映像なのも相まって暗いものでした。)
怨歌、暗い、陰気、とのイメージを抱く気がします。そもそも、そういうイメージ戦略で彼女が世間に売り込まれたので確かに無理もないのですよね。
そして、そのイメージを不動のものとしてしまった歌、、やはり圭子の夢は夜ひらく のヒットのイメージに引きづられているからにも他ならない印象をうけます。デビュー曲の、新宿の女は割とムード歌謡曲のイメージですが、彼女の声質と歌い方は伝統的で、やや民謡調の演歌な雰囲気。
そして彼女は表現力が悲哀に満ちているというか、それは彼女の私生活や人生から来ている様に思える。エディット ピアフみたいな感じか?
歌が上手いというのは勿論のこと、人生の哀しみを18歳前後にして表現できる、あまりの非凡さに感動しました。
ですが、私は誰もがイメージする彼女のお得意とする暗い世界観を明るい人生の展望を感じさせる世界へと昇華できている、(新宿の女の流れを汲むとも言えましょう)彼女としては珍しく明るいムード歌謡曲調の歌、女泣かせ、とネオン街の女、女の流れうた、の三曲をここでは推したいと思います。
やはり不幸な少女であったとされる彼女がこの絶妙な人情、絶望からの将来への展望を歌うと強いな〜というのは私にとっては納得のいく体験。そういう歌を沢山、彼女が残していればイメージも変わったのだろうと思います。
でも、もしかしたら、その時代が求めていたのは彼女が背負うとされた虚像の負の一面の方だったと言えるのかもしれませんね。