〜歌謡曲に溢れた風景〜日々〜そして洋楽〜

レトロ歌謡曲&洋楽ファンの日々。

私と武家の宇喜多家〜浮田との関係 そして戦前歌謡〜流行歌に触れる契機

少しだけ私自身の出自の事を手短に、書きたいと思います。軽くお付き合いください。^^



私の祖父 民造(たみぞう) は明治40年(1907年)生まれで、35歳頃に徴兵され、(比較的、高い年齢での徴兵です。)、、

外地からシベリア抑留を経て終戦から数年後に日本に帰国しているのですが、、

とても優しく物腰柔らかで静かな方で、そんな方でも容赦なく運命に巻き込まれていってしまう時代の流れは恐ろしく感じたものです。^^汗

(なので祖父の生きていた時代の雰囲気や、流行歌、映画、文学などにも興味が湧いてしまいます。^^ )


今は幸いにも戦時下や、戦後、、更には昭和初期以前の明治から大正にかけての人々の暮らしの映像もカラー映像があるので、時代背景を掴めて嬉しいものです。^^




そして私の母方の祖母(1910年、明治43年生まれ)は、、

織田信長の臣下であり、後に豊臣家の養子となり豊臣側で闘う事になる武将であった (また岡山城主でもあった) 宇喜多秀家で知られる武家の 宇喜多家の出自で、分家の末裔なので、旧姓は浮田の表記です。


宇喜多家はかなり前、200年程前に没落して有力農家になっている筈なので、、



もはや分家だと随分前から資産も何もなく、既に見る影もないのですが、、

その母方の祖母の父は浮田廣太郎(ひろたろう)といって、(神社の家の出自である妻をもらっています。)その当時は戸籍?か何かが一般の人とは記述が異なっていたらしく?


その身分を認められて、呉で造船の監督をしていたと聞きます。



その為に祖母の兄達と弟もそれなりの立場を許され出征し、、馬に乗る騎兵としての写真が残されていました。


(しかし、廣太郎は幼い頃は可愛がっていた子ども達には、大人になってからは厳しく冷たく接していたと聞きます。


また因島出身の妻との関係も、気位が高かった為か何らかの理由で、

一方的に厭ったため、、非常に仲が悪かった様ですね。


後にその曾祖母は病気も重なり、自ら家で亡くなってしまう事になります。汗)




とはいえ、宇喜多家は人数が多そうなので、辿れる方だけでも数千人はいそうで、そこまで珍しくはないのです。^^笑



今回は戦前流行歌に惹かれる切っ掛け  となった祖父と、、


浮田家の出である母方の祖母と曽祖父について、軽くですが書き記して置きました。^^