〜歌謡曲に溢れた風景〜日々〜そして洋楽〜

レトロ歌謡曲&洋楽ファンの日々。

藤山一郎 1 〜酒は涙か溜息か〜東京ラプソディ〜丘を越えて〜僕の青春

藤山一郎さんは子どもの時(1921年頃)から童謡歌手として御活躍されていて、、

後に東京藝術大学で声楽を学ばれて、、曲によりバリトンテノールの音域で歌唱されています。


流行歌ではテクニカルなクラシック歌唱はあまりされておらず、とても自然に歌唱されていますね。^^





古賀政男さん作曲の、1931年の大ヒット曲であり、そのヒットから栗島すみ子主演の映画 想い出多き女、酒は涙か溜息か 、、

の二つの映画のテーマとなっていて、、



和の物悲しいマイナー調の重苦しい情感漂うテイストながら、、

三味線ではなくギターを使う試みが功を奏した「酒は涙か溜息か」

(B面は淡谷のり子さんの「私此頃憂鬱よ」でした。)



水原玲子さん主演の映画 姉 の主題歌で同様に古賀政男さん作曲で、、古賀政男さん自身の青春の想い出を題材にしている、、


雄大な山を描き出す壮大なサウンドから始まり、、軽やかで爽快な若さが、曲のスピード感とともに漲り(みなぎり)弾む「丘を越えて




徳山璉さんと歌唱され、、ハワイアンの様に穏やかで優しい曲調が暖かな「想ひ出のギター」




1933年の、、伏見信子さん、岡田嘉子さん、江川宇礼雄さん、大日方伝さんらの出演の映画 処女よ、さよなら のテーマであり、、

中山晋平さん作曲の、、


重苦しいマイナー調の、寂しげな哀感が 深く胸に迫る「燃える御神火」




ユーモラスで剽軽な明るく朗らかな曲調に、緩急の情緒表現も繊細で豊かな、、若者たちの楽しく華やぐ心を歌う「僕の青春」




愛、そして恋の終わりの辛さ、寄る辺ない儚い哀感がマイナー調に強く情緒てきに表現された「さらば青春」




軽快な曲調での焦燥のマイナー調に、若さにある未来、希望そして苦節から立ち直れる強さを歌う「青春讃歌」




藤山一郎さんが出演され、、

星玲子さん、井染四郎さん、、モダンガールの典型のイメージで知られた伊達里子(だて さとこ)さん、御橋公(みはしこう)さん、らと共演された同名の映画のテーマでもあり古賀政男さん作曲の1936年のヒット曲、、

(藤山一郎さんがビクターから当時二流レコード会社とされていた古賀政男さんが重役であったテイチクに移籍後に発表された初の曲で、このヒットでテイチクを盛り上げることに貢献しています。)


行進曲クラシック風の非常にアップテンポな焦燥が軽やかで、、

壮大なマイナー調からメジャー調に歌唱も(間奏もメジャー調からマイナー調へと)素早くスムーズに洒落た雰囲気のままに切り替わり、そのまま華やかに流れてメジャー調で終わる、、


モダンな都会を映し出すサウンドが深い味わいの「東京ラプソディ」


(この曲ではテノールとしての歌唱をされていて、また滅多に歌われる事が無かった、、花咲く都に〜からの5番も存在します。)



上記のB面であり、、ギターサウンドの軽快なマイナー調が物悲しい静けさが漂い、儚げな「東京娘」




任侠〜股旅モノと言える曲であり、晴れ晴れとした爽やかな曲調に、別れていく寂しさを、そっと匂わせる「男の純情」



古賀メロディらしい焦燥の愁いがマイナー調にリズミカルにテンポよく流れていき、、

この時代としては、やや軟派?なイメージで恋の寂しさを歌詞に綴る「青い背広で」



青春の恋の苦しさ辛さを儚く描く、、哀切なマイナー調が重く寂しげな「青春日記」




などなど、非常に沢山の古賀政男メロディを歌われていて、、

その声楽由来の無理のない巧みな歌唱は、とても なだらかで聴きやすい声質であり、人々に受け入れられやすいものだった様ですね。^^

織井茂子 1 〜君は遥かな〜静かな夜のビギン〜東京無情 / 君いとしき人よ〜数奇屋橋エレジー〜忘れ得ぬ人〜伊藤久男

織井茂子さん伊藤久男さんは、非常に類まれな歌唱技術を持ち、その実力は凄まじく、、


人の秘められた情感を、歌で描き出すことに驚くほどに長けた方であり、その胸に迫る歌唱は時に涙を誘い、、時に、剽軽でガラッパチ、捨て鉢な歌唱で笑いをも誘います。^^



映画 君の名は  からのテーマで、佐田啓二さんと歌唱され、、

焦燥の哀感のただようマイナー調にある、シットリとした淡い叙情が細やかに流れていき、胸に沁みる歌唱をされた「君は遥かな」


(同じく古関裕而さん作曲の、伊藤久男さんによる歌唱の当時の映画音楽の様な壮大なサウンドで、、

マイナー調に やるせない哀感の心情を深々と深遠に余すことなく味のある歌唱で描き出した「君いとしき人よ」も、、



マイナー調ながら、優しさと暖かさがそこはかとなかく宿っていて、シットリとした哀感が周りを包み込む様な「数奇屋橋エレジー


繊細で細やかな変化を付けたクラシック〜オペラの卓越した味わいのある、、

哀切さにある静かな温もりの情感が、重苦しいマイナー調に緩急、強弱の複雑な歌唱から見事に漂う、、


切に聞かせてくれる卓越して表現豊かな「忘れ得ぬ人」


、、もこの映画のテーマでした。^^)



菊田一夫さん、古関裕而さんコンビによる曲で、、

最初の短い間奏の一瞬だけ、淡く優しく柔らかでシットリした明るいメジャー調ながら、、


非常に深く繊細で落ち着いた、物悲しいマイナー調が胸に迫る、マドロスさんとの別れの情緒が細やかに豊かな「雨のオランダ坂


原曲である渡辺はま子さんの1947年のバージョンは、、焦燥のアップテンポに溢れる儚い寂しさと、より真っ直ぐな実直さの歌唱が前面に出た、また別の折り目正しい歌の味わい、趣があります。^^




1955年の岩谷時子さん作詞、原 六朗さん作曲による、、甘く優しいロマンティックな情緒が淡く穏やかに シットリと流れていき、、


間奏はメジャー調からマイナー調に美しく移りながら、、夜の情景を洒落たセンスで流麗に映していく、織井茂子さんの繊細な歌唱も秀逸な「静かな夜のビギン」




1957年の船村徹さん作曲で、、

東京で人の冷たさを感じる、どうしようもなく惨めな心に追い詰められ、、その絶望へと至る情感を見事に細やかに、かつ歌劇の様に力強く歌われた「東京無情」




星野哲郎さん作詞、船村徹さん作曲による1958年の曲で、、

捨て鉢風のヤケになった女性のよるべない悲しみの心情ををマイナー調で切なく表した、、終幕の様なキリのいいオチの様な曲のサウンドの終わり方も特徴的な「夜が笑っている」




などなど、オペラ  クラシック由来の織井茂子さん、伊藤久男さんの歌唱は極めて格調高くて、、本場のイタリアなど、世界にも そのまま通用しそうな、、実力を持っています。^^


(悲惨な戦時下を体験した事も、お二人の表現力に多大に影響を及ぼしたと思われます。汗)


あまりの想像以上に素晴らしい歌唱に感激してしまいました。^^

徳山璉 3 〜彌次 喜多 花見道中〜銀座ステップ〜色はにほへど〜

徳山璉(たまき)さんは歌い方も極めて豪快な迫力と明朗さが滲んでいて、、


豪胆で豪傑な、あまり小さい事には拘(こだわ)らない人物かと思いきや、、実は内面はイメージと全くの真逆で大人しかった様です。^^




優しく暖かな晴れやかさで、軽快に弾む、やや剽軽さの漂う明るい曲調に、、甘く儚い恋の終わりの辛さを正直な歌唱で歌う「戀ざんげ」




藤澤五郎としてレコード録音された、、

非常に妖しげで意味深な歌詞の映える、、情感の漂う、重たげなマイナー調に驚かされる「銀座ステップ」


マイナー調の重たいムードから、間奏の中間に爽やかな明るさが一瞬だけ混じり、、


その不思議な爽やかさを挟みつつ、男女の情的で あまりにモダンであり、時代的にも やや露骨な心情を正直に描いた「色はにほへど」(モダンイロハ唄)




小林千代子さんとの お互いの腹の探り合いの様な、、男性からの(徳山璉さんによる歌唱らしく、どこか おどけていて剽軽!) あからさまに下心のありそうな雰囲気のある、、

 大袈裟な女性側への褒め言葉さえも、軽く いなしてしまう女性の軽快な歌声が高らかで逞しい、、


そんな掛け合いの歌唱表現が、非常に笑えるほどに面白おかしく、、


また、お二人のクラシカルで技術の高い (徳山璉さんは人物になりきり、感情まで器用に映すバリトンで、、小林千代子さんのソプラノには美しい上品さが漂います。)歌唱に、、


コミカルなユーモラスさが不自然さもなく映えていて楽しい曲「彼女のイット」(サノバガン節)  


 サノバガン(son of a gun)は英語表現で、驚きや失望、怒りを表したり、、または罵倒語の一種で、畜生!などの、やや下品な意味の様です。^^汗


あと イットは当時のクララ・ボウの映画からで、、女性的な魅力の事らしいですね。^^




クラシカルで正直なバリトン歌唱が冴え、、重くるしいモダンなマイナー調が過ぎ去った恋を哀感の情緒で物悲しく偲ばせる「夜の酒場に」




市丸さんの艶やかな発声の歌唱に、徳山璉さんの早口の滑舌の良さと巻き舌も愉快であり、、


古川緑波(ロッパ)さん、市丸さん らと共に、浮かれて踊りだしたくなる様な、三者三様に明るく楽しさ溢れる民謡調のサウンドに見事にのられた「弥次 喜多 花見道中」



などなど、徳山璉さんは30代後半という、かなりの若さで亡くなられたのが非常に惜しまれます。



徳山璉さんは歌唱法も東京藝術大学で学ばれ、、

ちゃんとした基礎のある 粋なクラシックまたオペラ仕様のバリトンボイスでありながら、、


あまりに遠慮のない、はっちゃけた様な歌唱と、ミュージカル風の独特の腹の底からの溌剌とした大きな明るい笑いの発声、、


そして所々ある巻き舌の駆使は面白おかしくて、聴いているとクセになる程のものです。^^

丸山和歌子 2 〜年のころ〜青空〜小雨の港〜若き女性の悲しみ〜

1905年生まれの丸山和歌子さんは、1907年生まれの淡谷のり子さんと同じ現 東京音楽大学の出身で、、


技術面では淡谷のり子さんに全く引けを取らない程のソプラノ歌唱能力の高さを見せています。^^



男性との掛け合いの歌唱がとてもユーモラスで、、軽快な弾むシットリとした明るさが剽軽で楽しい「戀のパラソル」



岡田嘉子さん、伯母の女優 森律子さんで知られた森赫子(かくこ)さん、江川宇礼雄さん、大山健二さんらの出演された1933年の映画 さすらひの乙女 主題歌であり、、


軽く弾む様な明るいモダンな曲調に華やぐ若々しさが生き生きとテンポよく、、民謡調の豊かで繊細な歌唱の節回しでとても技巧的に歌われた「年のころ」



1933年の、千夜子を演じる夏川静江さん、市川春代さん、田村道美(みちよし)さん、滝口新太郎さん、、

俳優の中田博久さんのお父様である中田弘二さん、井染四郎さん らの出演された映画 未來花(未来花)からのテーマで、


和の哀感の重苦しい静かな情緒に深い乙女心の揺れを描き出す「千夜子の唄」





時雨みどり の名で録音されている曲で、

軽快なウクレレなどの、静かな異国風の器楽のサウンドに、リズミカルで軽やかに跳ねる様なソプラノ歌唱が、明るくシットリとした情緒を漂わせる「小雨の港」



岸文代さんとして録音された、マンドリン奏でるハワイアン風の爽やかで優しい曲調が、とても緩やかでエキゾチックな「青空」



芸者さんの小唄の様な、そこはかとない恋にある待ち遠しい哀感の薄っすら漂うマイナー調の「お手紙頂戴」



どこか剽軽さのある、、暖かで優しい曲調に、語りかける様なユーモラスさのある、不思議と高鳴り抑えられない心を歌い、、当時のネエ小唄と言えそうな「どうにかしてよ」




映画 嫁入り前 からの曲であり、

モダンな焦燥のマイナー調のアップテンポなリズミカルさから、、流れる様に日本的な哀感の曲調に転調し、歌唱の高らかさの後にオチの様に音を落とす様に締めくくる、、


現代には無い、不思議なムードで、嫁入り前の不安と喜びの 期待に揺れる心境を表す「一度見たとき」




モダンさと日本調が融合した様な、非常に明るく面白いサウンドで、、

歌唱も、感情をそのまま正直に表すかの様な、包み隠さず開けっぴろげ感の溢れていて、、

悩みを歌いながらも、とても楽しい歌「若き女性の悲しみ」




などなど、淡谷のり子さんのライバル的なクラシックな歌唱技術の高さ、細やかさ、繊細さの応用力を和洋に対応して持ち合わせながらも、、


なぜか早々と次の時代には人気が廃れ、忘れ去られてしまった、かなり悲劇の歌手と言えそうです。^^汗

丸山和歌子 1 〜春の夜の唄〜春ぢやもの〜銀座志ぐれ〜

丸山和歌子さんは戦前の1930年代には良く知られていた方の様で、人気歌手だったことが、うかがい知れます。その後は忘れ去られてしまった様でした。



その歌唱は非常に特徴的で、芸者さんの様な巧みな技巧から、またクラシック由来と思われる類まれなソプラノ高音まで操り、音楽の天賦の才能を感じます。^^



1931年の映画 トロイカ からの、、

非常に軽快に無理なく綺麗に高く上がる極めて高音の歌唱がクラシック音楽の素養を感じさせ、朗らかな明るさが優しく暖かな「春の夜の唄」




1933年の曲で、和の囃子の様な民謡調であり、淡く静かなマイナー調に、芸者小唄の様な歌唱が薄っすらとした、何故か不思議と湧いてくる哀しみ叙情を漂わす「春じゃもの」(春ぢやもの)



江口夜詩さん作曲の、軽やかで柔らかなリズムと明るい軽快さが流れていく、なかなか逢えない二人の寂しさを淡く映し出す「紅の帯」



1932年の西岡水朗さん作詞、古賀政男さん作曲の、、緩やかに明るく弾む様な曲調で、春の到来により、なぜか落ち着かない心の揺れを暖かに描き出す「風も吹きよで」




儚く寂しげで シットリとしたマイナー調に、日本古来の文語調の美しい歌詞ながら、レインコート、ネオンなどモダンな情景描写のある「銀座志ぐれ」



などなど、間に自然で、決して大袈裟とならない伸びやかなソプラノ高音を 歌の流れのまま、ソツなく発揮され、、また時には気負わない正直な歌唱ともなり、


歌により正に変幻自在で、相当な歌唱の実力の高さが現れていました。^^

古いレコード音源〜現在に伝わらない歌手の方々

昭和初期の流行歌は、調べてみたところ、当時は非常に有名で人気のある方であったとしても、後々に伝わっていない歌い手さんが多い印象を受けます。(大ヒット期間があっても、一過性だ短いなどの理由。)




戦後には残念ながら、新たな時代の時流に乗れずに、古の産物として時代遅れになり、完全に忘れさられた方も沢山いらっしゃいますね。^^



歌唱も今とは かなり違い、声楽由来の流行歌歌手の方々は男女ともにクラシック歌唱(女性ならソプラノ歌唱)が中心で、、


特別に歌唱力が豊かで卓越していない限りは、声質の違いを見分けるのは、慣れるまでは困難で、、至難の技です。^^汗




70年代始めからの懐メロ ブームに後押しされ、見事に戦後にも人気歌手として復帰された有名な方々もいらっしゃる一方で、、戦前に引退され、そのまま消えた方も沢山いて。




そんな幻の方々のレコードを持っていて、今に伝え、音源を公開してくださる方が多く居らっしゃるのは誠に嬉しく、有難い限りです!^^




知り合いの、たまにDJをされたりしている50代の人にレコード集めが趣味の方がいるのですが、、


その方は基本的には洋楽に傾倒していて得意であり、、

日本の音楽では80年代前後のポップス好きの為、古い邦楽は守備範囲外、、

(私はあまり得意ではない、テクニカルでユニークなバンド、グループ系または渋谷系サウンド)


なのですが、音楽に対する真剣さは私とは比較にならない程、並々ならなくて、学ぶ所は大いにあり、、(あまりに多く乱立している、その時期の方が大変に思えます。^^汗)


未だ未だ全く足元にも及ばないと痛感させられます。とほほ。^^

明治〜大正〜昭和初期の現実と治安

大正時代や昭和初期は(明治初期からも文明開化で既に凡ゆる洋風化は進んでいます。)、、


都市部では街並みも、文化も、一足早く 欧米を見習い現代的になり、洋食屋さんやカフェーが立ち並び、


欧米では当時、外出時のマナーとされた帽子姿も日本にも受け入れられていて、、

昭和初期頃には男女共に洒落た髪型(男性は今と同じく爽やかな短い髪型、女性は欧米で流行していたボブ カット)


に洋装(むしろ今より粋なファッションで、色合いも非常に明るく、カラフルな物が割合に多い感じでしょうか。^^ )

やスーツのサラリーマンの姿も増え、、


(明治40年生まれの祖父も洋装でコーヒーを飲み、パンを食べ、当時の昭和初期からモボ スタイルでした。

ちなみに祖母はモガではないです。^^笑)



歩道や道路が綺麗に整備されていたり、高層ビルや、壮麗な造りに外観の華やかなデパートが並んでいて、、


その中にはエレベーター、エスカレーターなども今と変わらずに有り、、

かなりモダンな様相を呈していて驚きます。^^




また、1870年代前半に開通した鉄道含め、路面電車も通っていて、、

ガス燈や木製電柱などが出来て、夜間にはネオンなども輝き始める為に、、想像以上に大正時代頃には今と さほど変わらない様な都会的な雰囲気が漂うのですが、、




やはり日本全体としてみれば、田舎など総じて人々は貧しく、、

また気をつけないと、人攫(さら)いも多くて危なかったみたいですし、



危険な工事の為の タコ部屋労働など、、高給を謳い、甘言や甜言蜜語(てんげんみつご)での、

ほぼ誘拐同然に悲惨な労働を、きわめて劣悪な環境での収容生活により強いるなど、、恐ろしい負の一面も持ち合わせています。^^汗



やはり知っていくと峠や山道での治安の悪さなど、、単に古き良き時代!!、、と言うには余りありますね。汗

岡晴夫 3 〜憧れのハワイ航路〜パラオ恋しや〜若いときャ二度ある〜今日も雨だよ〜二度と呼ぶまい

岡晴夫さんの曲はきわめて沢山あり、その70〜80年前 当時からの非常な根強い人気ぶりが、そこからも伺い知れます。^^



また岡晴夫さんの歌は、知り合いの70歳前後以下の方では、もはや知らない方も多いので、かなりの時間を経たのを肌でもって感じました。(亡くなったのも1970年と 早かったせいでもありそうです。)



戦後間もない時期の歌ながら、、

海外ハワイへの夢が広がり、その明るく華やぐウクレレの音色のながれる軽やかなサウンドと歌唱がこの上なく有頂天で楽しい「憧れのハワイ航路」




1941年の、、

南国の海に潜る情景と、爽やかで爽快な異国情緒を前面に押し出した歌詞に、優しい音色のストリングが そっと緩やかで優しい「パラオ恋しや」



情緒的で淡い静けさのある、どこか暖かで穏やかなサウンドに、、そっと人生の愁いを帯びる「東京の横顔」(プロフィール)




物憂げなマイナー調に別れの辛さ苦しさの募る様が、軽快なリズムで描かれた「東京の青い鳥」




リズミカルで重厚なマイナー調に、これからの長い別れの寂しさと、そこはかとない孤独が綴られていく「啼くな小鳩よ」




1949年の戦後の混乱期の曲で、アップテンポで焦燥の漂う颯爽としたマイナー調に、、若者達の日々にある街での朗らかな暮らしと、、明日への希望の映し出される「東京の空青い空」




とてシャン、、という昭和初期のたいへんな美人を表す面白い言葉が出てきていて、、


剽軽なユーモラスさが音頭風であり、、歌詞の晴れ晴れとした底抜けに明るい能天気さと、曲調の軽やかさも心躍る様に楽しい、、

人生の応援歌とも言える「若いときャ二度ある」




上原げんと さん作曲で1948年の、、明るく溌剌とした朗らかさで、、明日への希望の情緒を表した「二度と呼ぶまい」




明るく軽快なユーモラスさで、別れに泣いた日を振り返りながらも、、どこか軽い剽軽さが際立っていて楽しい「今日も雨だよ」




重苦しいマイナー調に、、うらぶれてしまった人生が そっと語られていく哀愁が辛い「男のエレジー



などなど、、岡晴夫さんは、爽やかで朗らかな曲調を中心にしながらも、時には非常にマイナー調の曲も味わいを持って、見事な歌唱を披露されています。^^


赤木圭一郎 3 〜旅路〜ふたりの渚〜若さがいっぱい〜月に咆える男

赤木圭一郎さんは、雰囲気は現在の30歳前後にも見える程の、さまざまな人生を経てきた存在感と貫禄がありまして、


顔立ちは割とワイルドながら、粗野な雰囲気を纏わず、育ちの良さが滲んでいるのも魅力的です。


まだまだ、これから後に更に厚みを増して、幅広く活躍されていたであろう、、若干21歳で、事故のために夭折されているのが惜しまれます。



「黒い霧の町」のB面であり、、

当時のさうらしい、深く熱い愛と暗黒街でのそれも叶わない運命を歌う、、ややマイナー調の甘く淡い情感の漂う、ムード歌謡な「今日かぎりの恋」



映画 幌馬車は行く からのテーマで、、

淡く優しい、暖かな情熱の燃える愛を捧げた、西部劇風なバラードがムーディーで、どこか 無骨な不器用さがクールな「旅路」




馬への鞭をしならせる勇ましく激しい掛け声が印象的で、、

乾いた西部のサウンドがローハイドを思わせ、

そして風の様な馬車の疾走感に、虚無な哀愁の漂うマイナー調の「幌馬車は行く」




当時の日活の登竜門的なボクシング映画からのテーマで、、

石原裕次郎さんの様な歌唱での、ワイルドな軽快さがスピード感を持って、淡々と焦燥のサウンドに映えていく「打倒」 (ノック・ダウン)





映画 邪魔者は消せ  からの、、

優しく甘い緩やかなバラードが、赤木圭一郎さんの低い歌唱に、情感豊かに映し出された、、

淡く遥かなムーディーさが非常に綺麗な「ふたりの渚」



ジェームズ・ディーンの有名な映画 エデンの東 をイメージしたとされる、、笹森礼子さん、白木マリさん、宮城千賀子さん、小高雄二さん、杉山俊夫さん、高原駿雄さん らの出演された1961年の映画 錆びた鎖 の劇中歌の、、


溌剌とした若々しい情熱と、コミカルな軽やかさが弾む様に楽しげな、アメリカンなオールディーズを想わせる「若さがいっぱい」




隠された影の一面にある儚く孤独で泣きたい心情を、、どこか軽やかなサウンドに、そっと静かに明るく 低いムーディーさに歌う「月に咆える男」(ほえる)




ジャズとボサノバ風のシットリと穏やかなサウンドに、、秘められた内面の弱さ脆さを静かに吐露していて切なさの描き出された「俺と月が燃えるとき」




芦川いづみ さん、笹森礼子さん、葉山良二さん、宍戸錠さん、二谷英明さん、浅丘ルリ子さん、山本陽子さん ら、錚々たる顔ぶれと出演され、、

撮影中に亡くなられた為に遺作となった同名の映画からの主題歌で、、

恋する相手よりも、海を選び取る、ニヒルな虚無感、かつハードボイルドな哀切さが辛いマイナー調な浪漫の感じる「激流に生きる男」




同名の映画の主題歌で、、

寄る辺のない、あてなく彷徨う流れ者の哀感を映す、重厚なマイナー調が重苦しい「俺の血が騒ぐ」




中原早苗さんと共演された同名の映画からの、、

胸の内に秘めた恋の、炎と燃え上がる心と涙を隠しながらの、その終焉を、哀切なマイナー調がそっと醸し出す「海の情事に賭けろ」





共演された中原早苗さんにプライベートでは、かなり甘えていた、、という一面もあり、

映画での、そこはかとない影をまといながらも、爽やかで熱く強い、男性的なイメージとはかなり異なる、、


非常に等身大な茶目っ気たっぷりな姿も知られていて、そこも若い青年らしく、更なる魅力に繋がっています。^^笑

育てる植物の楽しさ〜今年の無花果

九月過ぎた頃になり、家で作っている無花果(いちじく)が四つほど採れました。(成長はまあまあで、一口サイズ程なのですが、味は甘く美味しかったです。^^)


そして謎の虫の蛹がイチジクの枝にくっついていて、震え上がっていたのは内緒です。^^汗



一昨年ほどは、ほぼ最大限に大きな無花果が八つ九つ以上は採れていたのですが、、

南向きから、北向きのベランダへと鉢を移して、陽当たりがやや悪いのと、、



小まめに頻繁に、肥料をあまり遣らなかった事、、

更には水の蒔き具合も、それなりには頑張ってはいたのですが、、(言い訳です、はい。笑)これも足りなかった為だと思われます。^^汗



そして林檎の種から、最近は林檎の木を育て始めていて、夏から秋にかけての成長っぷりが凄まじく、、40cmくらいの高さになりました。


しかし枝や幹が細いので、折れない様に、芯となる柱を括りつけたりして保護しています。



時間的にも、大きな林檎を目指してはいないので、育てる楽しみ第一に考えていて、プラスα、、一先ずは小さな林檎が やがて できたらば、それで十二分に嬉しいかも知れませんね。^^




そして近所に葡萄を沢山 実らせている民家があり、、立派なブドウの一つ一つに丁寧に傘?ビニールを被せていて、、

それを見ると葡萄も丁寧に育ててみたいな〜、、

と密やかな憧れを持ってしまいました。^^

赤木圭一郎 2 〜夕日と拳銃〜トニーとジョー〜野郎泣くねえ!!〜明日なき男〜

赤木圭一郎さんは、その何処と無く影を帯びた眼差しや振る舞いが劇中では知られますが、、

素と思しきインタビューなどを聞いてみると、、極めて育ちの良さげな等身大の青年だった事が偲ばれます。^^




映画 拳銃無頼帖 電光石火の男 からの、、

軽快なウクレレの様なストリングのユッタリとした優しさが、西部劇ウェスタン風に そっと漂う「夕日と拳銃」



同じく上記の映画からの主題歌であり、、

虚無感のマイナー調が、ドラマティックに響き渡り、離れる恋の苦しみ哀しみ、そして孤独をムーディーに映し出す「野郎なくねえ!!」




同名の映画のテーマで、、

孤独でハードボイルドな哀感のマイナー調が、寂しげな叙情で静かに流れていく「明日なき男」



赤木圭一郎さんと宍戸錠さんが一緒に歌われた、、同様に映画 明日なき男  からの、、


重厚さのあるマイナー調で、ムード歌謡なサウンドに、、ニヒルな淡い情感が漂い、、

ライバルながら二人の掛け合いが仲睦まじく、仄かな面白さもある(終盤の へっへっへっへっ、、と宍戸錠さんの笑い方がユニークでコミカルです。笑)

「トニーとジョー」




白木マリさん、芦田伸介さん、垂水悟郎さん、吉行和子さん、浜村淳さん らと共演された、、赤木圭一郎さんの遺作映画 紅の拳銃 からの、、重苦しい別れの哀切さを胸の奥深くに、どう仕様もなく引きずっていくハードボイルドな歌「追憶」(おもいで)



映画 不敵に笑う男 からの挿入歌、、

海で運命に引き離されていく、別れが迫るマドロスの恋の切なさを、ドッシリとした重厚なサウンドながら、そっと静かに冷静に別れを映し出す「海の掟」




などなど、赤木圭一郎さんは若々しい爽やかな声質ながら、描く世界の基本は、映画の成熟しきった大人のダークな救いのない世界であり続けています。



しかし、20歳前後とは思えない完成された円熟味を風貌だけに留まらず、、人格にも歌唱にも芝居にも見せていて、、


もはや、なんの違和感をも感じさせず、極めて自然に、歌や演技で、その中にあるドラマを繊細で鋭敏な感覚で格好良く表現されています。^^

赤木圭一郎 1 〜霧笛が俺を呼んでいる〜男の怒りをぶちまけろ〜不敵に笑う男〜黒い霧の町

赤木圭一郎さんは(ハリウッドスターのトニー カーティスに似ていたからとされ、、愛称 トニー)


日活アクションの黄金期に、石原裕次郎さん(タフガイ)、小林旭さん(マイトガイ)、和田浩治さん(やんちゃガイ または  ヒデ坊)、、


後に宍戸錠さん(エースのジョー)、二谷英明さん(ダンプガイ)らを加えて、、1960年に日活ダイヤモンドラインを形成された事で知られる日活の人気俳優であり、、

荒々しい雰囲気の顔立ちながら、不思議な落ち着く色気を放っています。^^


映画内での宍戸錠さんとの息の合ったコミカルな掛け合いは、よく知られる所の様です。^^





芦川いづみ さん、葉山良二さん、吉永小百合さんらと共演された同名のマドロス サスペンス映画のテーマで、、


重苦しいマイナー調なムード歌謡風ながら、甘く優しい愁いの雰囲気を帯びた歌唱の、、マドロス物とも言える曲「霧笛が俺を呼んでいる」




浅丘ルリ子さん、二谷英明さん、渡辺美佐子さん、内田良平さん、藤村有弘さん らと共演された同題名の映画の主題歌であり、、

重くスリリングなマイナー調に、男性性の勇猛さがドラマティックながらダークに滲む「男の怒りをぶちまけろ」



拳銃無頼帖シリーズ 第三弾で、、

宍戸錠さん、笹森礼子さん、青山恭二さん、千波丈太郎さん、二本柳寛さん、吉永小百合さん らと出演された映画「拳銃無頼帖・不敵に笑う男」 からの、、


マイナー調の虚無の憂いや悲しみの静かに漂い溢れていて、、意味深な渋い、ミステリアスな大人の味わいのある曲「不敵に笑う男」



映画 俺の血が騒ぐ のテーマで、、重々しくも海の男の勇ましさと若い力強さがドッシリと描き出された「風は海から吹いてくる」




拳銃無頼帖シリーズ第一弾で、、浅丘ルリ子さん、宍戸錠さん、沢本忠雄さんらと出演された映画 拳銃無頼帖・抜き射ちの竜 のテーマである、、

寄る辺なく儚い危うさ、、ニヒルな暗澹たる人の闇を映し出す 洒落たムーディーさのある静寂のイメージのピアノと器楽サウンドの、しっとりとした展開に、、

男性的な浪漫の  そこはかとなく宿る「黒い霧の町」




などなど、赤木圭一郎さんは、その飾らなくて若さ漲ったいるシンプルな歌い方ながら、、


その声量と不思議な迫力のある歌唱は、、むき出しで純粋な、天賦の存在感が色濃く反映されていて、、


驚くべき程に、聴き手をその独自の世界観に引き込み、圧倒していく力を帯びているかの様です。^^



岡晴夫 2 〜幸福はあの空から〜花売娘シリーズ〜流転のマドロス〜若いマドロスさん〜青春のパラダイス〜東京シャンソン

岡晴夫さんは、上原げんと さん作曲による歌、、ご当地ソング、各国ソングとも言える異国への憧れを掻き立てる様な花売娘ソング等を含めて、たくさん歌われているのが特徴で、、


その曇りのない名前の通り晴れやか、かつ朗らかなテノール歌唱は戦中、戦後の当時の人々の先の見えない鬱屈した心を明るく照らした事がよく分かります。^^



1954年の曲で、、シットリと優しく静かな情緒に、混乱期の哀感と悲愴さ  すらも何処と無く淡く漂う「幸福はあの空から」


淡く優しい情緒が、美しい長崎の風景と共に朗らかに流れていく「長崎の花売娘」


1951年の曲で、重苦しい戦時下風なマイナー調から、明るく高らかな曲調に自然と叙情的に移り、、
曲の終わりも朗らかな楽しい希望を描くような余韻を残す、なんとも不思議な展開の歌「東京・神戸・長崎」



淡く軽快な優しさと、美しい異国情緒がほのかに香る様に漂う「南京の花売娘」


広東の夜景のシットリとした趣きを余す事なく映し出した、明るく華やかなムードの「広東の花売娘」


ゴージャスで、ジャジーかつモダンな匂いがしていて、楽しく派手で豪華な雰囲気をまとう「アメリカの花売娘」


身の上の悲しさを暗示した、淡く遥かな哀感が珍しく上原げんと さん作曲のマイナー調に静かに儚く映しだされた「想い出の花売娘」



戦後間もないヒット曲で、、優しく淡い深みのある静かな優しさと明日への展望の漂うメジャー調でありながら、、
寄る辺のない哀愁を まとわせた哀しさが、、どこか薄っすらと流れていく「東京の花売娘」



底抜けに弾む様な軽やかなリズムにのる、ご当地を意識した楽器サウンドに、、幸せな心踊る嬉しさと別れの悲しみの醸し出された「霧のカラカス花売娘」


岡晴夫さんの歌われている花売娘シリーズのなかでは、、やはり「東京の花売娘」と後々の1963年に発表された「霧のカラカス花売娘」 は全く異質な、そっと哀感を帯びた作品であり、、

戦前の花売娘シリーズからの朗らかな楽しげな明るさと、エキゾチックな他国の雰囲気、また異国の文化圏への憧憬を継承した作品とは非常に一線を画しています。
(終戦の東京の現実を歌っていて、密やかな人々の先行きの見えない、不安で覚束ない気持ちに寄り添っていると言えそうです。)


呑気で気ままに各地に流れていくマドロスさんの生き様や姿を軽やかな朗らかさで、明るく楽しげに歌う「流転のマドロス


若々しく、港の酒場で楽しそうに、喜び華やぐ、、元気で溌剌としたマドロスさんの姿を生き生きと明朗に、、かつ暖かい眼差しを向けている様を、歌いあげた「若いマドロスさん」



1946年のマイナー調の焦燥のアップテンポなサウンドに、岡晴夫さんの歌唱のテナーな軽やかさが冴え、
さらに若々しい溌剌さを添える「青春のパラダイス」



焦燥感のサウンドのマイナー調に、戦後の風景がそのまま、、リズミカルな岡晴夫さんの歌唱で希望とともに描き出されていく「ニュー・トウキョー・ソング」



1947年の曲であり、、戦後混乱期、復興期の儚げで静かな愁いを内に秘めながらも、、

モダンな暖かで優しく包み込む様な明るさが、明日への望みや希望を託して高らかに歌われている「東京シャンソン



などなど岡晴夫さんのテノール歌唱は非常にリズム感のある歌に適性を発揮していて、、
巧妙に、それでいて爽快に吹き抜ける風の様に歌い上げていかれています。^^

映像で見て感じる〜明治時代・大正時代〜昭和初期

今は昭和初期および、それより更に遡る 明治から大正時代頃のカラー映像を、微妙な白黒の濃淡等から分析して作ってくださる方がいるので、、

非常にその時代の臨場感を感じる事ができて嬉しい限りです。^^



数年前までは、、戦時下や戦後間も無い混乱期〜高度経済成長期のカラー映像も日本版では殆ど存在すらしていなかった気がします。

(アメリカや欧米の方々による撮影では、カラーが存在している模様。^^

更には、非常に古い日本の写真や映像は海外の撮影を頼る事になるみたいですね。^^)



写真では、近所の公立の図書館で昔借りてきた写真集には日本最古の撮影レベルの江戸後期〜明治初期〜中期頃の、村を臨む写真が納められていて(この時期は日本に写真技術がそこまで浸透していなかった為、海外の方の撮影でした。)、、


それから人々の生活は驚く程に変わりましたが、その中でも山々や川は基本は、やはり今と全く同じ風景と形状をなしています。不思議な感慨を覚えます。

(自然は そう短期間で変化しそうもないので、当然といえば当然ですね。^^笑)



他にも海外の歴史、世界史も好きなのもあり、19世紀〜(アメリカでは、、ジョーン・クロフォードゼルダフィッツジェラルドなフラッパー&禁酒法時代から、チャールストン、、世界恐慌時代の)20世紀初頭、、

(ナタリー・ウッドジェームズ・ディーンな1950年代〜も好きです。)

の海外の映像なども、興味を惹かれて見てしまいますが、、

これらは海外の映画やドラマが見事に忠実に当時を再現してしまう為に、映像で そこまで変わらないので、、あちらの技術、、撮影、脚本、監督能力、演技技能の高さが浮き彫りにされています。^^




書物で当時の事を細かく深く掘り下げて、あらかじめ先に知り学ぶことは勿論のこと不可欠なのですが、、


カラー映像からリアルな実際、、人々の暮らしと表情を探れるのは、ある種のタイムトラベルと言えそうで現代ならではですね。^^

私と武家の宇喜多家〜浮田との関係 そして戦前歌謡〜流行歌に触れる契機

少しだけ私自身の出自の事を手短に、書きたいと思います。軽くお付き合いください。^^



私の祖父 民造(たみぞう) は明治40年(1907年)生まれで、35歳頃に徴兵され、(比較的、高い年齢での徴兵です。)、、

外地からシベリア抑留を経て終戦から数年後に日本に帰国しているのですが、、

とても優しく物腰柔らかで静かな方で、そんな方でも容赦なく運命に巻き込まれていってしまう時代の流れは恐ろしく感じたものです。^^汗

(なので祖父の生きていた時代の雰囲気や、流行歌、映画、文学などにも興味が湧いてしまいます。^^ )


今は幸いにも戦時下や、戦後、、更には昭和初期以前の明治から大正にかけての人々の暮らしの映像もカラー映像があるので、時代背景を掴めて嬉しいものです。^^




そして私の母方の祖母(1910年、明治43年生まれ)は、、

織田信長の臣下であり、後に豊臣家の養子となり豊臣側で闘う事になる武将であった (また岡山城主でもあった) 宇喜多秀家で知られる武家の 宇喜多家の出自で、分家の末裔なので、旧姓は浮田の表記です。


宇喜多家はかなり前、200年程前に没落して有力農家になっている筈なので、、



もはや分家だと随分前から資産も何もなく、既に見る影もないのですが、、

その母方の祖母の父は浮田廣太郎(ひろたろう)といって、(神社の家の出自である妻をもらっています。)その当時は戸籍?か何かが一般の人とは記述が異なっていたらしく?


その身分を認められて、呉で造船の監督をしていたと聞きます。



その為に祖母の兄達と弟もそれなりの立場を許され出征し、、馬に乗る騎兵としての写真が残されていました。


(しかし、廣太郎は幼い頃は可愛がっていた子ども達には、大人になってからは厳しく冷たく接していたと聞きます。


また因島出身の妻との関係も、気位が高かった為か何らかの理由で、

一方的に厭ったため、、非常に仲が悪かった様ですね。


後にその曾祖母は病気も重なり、自ら家で亡くなってしまう事になります。汗)




とはいえ、宇喜多家は人数が多そうなので、辿れる方だけでも数千人はいそうで、そこまで珍しくはないのです。^^笑



今回は戦前流行歌に惹かれる切っ掛け  となった祖父と、、


浮田家の出である母方の祖母と曽祖父について、軽くですが書き記して置きました。^^